「崖の上のポニョ」≒「バベル」

暑い....しかし暑い....。
このままでは蒸発してしまうのではないか?
などと冗談ではない危うさが漂い始めた、夏この頃。

そのせいあってかたて続けに、ほっとする映画を2本観た。
一見すると、アプローチの仕方が大むねキリスト教色と、
八百万の神道色とで接点がないように思えるが、
おおらか横たわった大テーマは、揺るがずに立ち上がってくるのだった。

-再生から始まる共存共生-

あまりにも暑いので、塩梅としては丁度良かった。

「崖の上のポニョ」は、なんと言ってもこの夏一番の目玉でしょう。
映画館に足を運んだのは、もちろん子供にせがまれたというのもあるが、
ネット上で意外に酷な批評が載っていたのも理由の一つだ。
それらは大体、濃い味好きな青少年が書き込んでいるので、
批評が故意的に下がった作品には、優れた旨味が隠されている場合が多い。

だが、この作品に関してはそんなこんなじゃなく只一言だ。「素晴らしい.......。」
今年一番ですな。久しぶりに鳥肌がざわざわと立ち上がりました。

一年位前のドキュメント番組で、
ポニョが監督のペン先からポロリと生まれ落ちるのを見たが、
それが瞬く間に映画として構築されるのだからすごい集中力だ。

プロローグ。瀬戸内海をモチーフにしたゆったりとした海。
その上で交差する漁船や貨物船。舞台は小さな孤島のような港町。
冒頭から引きの絵が美しく懐古的だ。
しかし海の底。海岸辺り。そこはゴミだらけ....。
「え、ちょっと待ってそこは綺麗じゃないと。」
思わず困惑してしまう。
それでも容赦なく淡々と、引きは美しいが寄りが汚い海のカットが続く。
だが人々の暮らしぶりは自然体で逞しく、魅力的だ。

そんな港町の一番高台の崖の上に建つ一軒家。
そこに5才の男の子、宗介が暮らしている。
一方ずっと深い透明な海の世界で、元気に泳ぐ魚の女の子、ポニョ。
そのポニョが陸に上がって来るところから、物語は豊さを持して大混乱となっていく。

一言でいえば、
5才の二人の一緒にいたいという、一途な思いが巻き起こす冒険の物語である。
5才の眼を通すと、当然世界は輝いている。
5才の眼を通すと、約束は守ること意外の意味を持たない。
5才の眼を通すと、この世は生きる為に存在し、またそれに値する。
こんな当たり前の項目を大前提に、
海や丘を堂々と闊歩していく真理的大冒険の物語である。

掟を破った二人のせいで海が荒れ、陸地のほとんどを飲み込んでしまうが、
面白い事にあれだけあったゴミは一掃され、代わりに古代魚が悠々と泳ぎだす。

水中で揺らぐ街並はどこか懐かしい。

監督の言葉を借りれば、神経症と不安の時代に立ち向かうための作品。
更には、「ごちゃごちゃ言わんとこれでも喰らえ!」
とばかりの、気迫みたいなものがビシビシと伝わってきます。
そしてファーストシーンから、涙腺よりもっと奥の、古い古い記憶を揺さぶられる。
映画全体が巨大なリトマス紙のようだ。

いずれにせよ今回の牧歌的な手書きアニメーションからは、
その裏面に刷込められた、宮崎駿の激情のようなものが共鳴してくる。

「バベル」。この映画もその類いに属する。
内容やその描写は、5才の子供には刺激的過ぎるが、
全体を覆う包容感は「崖の上のポニョ」よりやさしいかも知れない。
「崖の上のポニョ」は陽の陰だ。
短絡的に、陽なイメージと平和的メッセージを受けたく映画館に向かうなら、
その陰の部分の比喩的表現に面食らってしまうだろう。
もちろん10才位までの素直な子供なら、そんなの関係なく体に浸透していくはずだ。
その反面、「バベル」は正直取っ付きにくいジャンルの映画だ。
取っ付きにくいが、陰の陽...。大ヒットは望めないが賞は取りやすい。
監督はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ。
何かのおまじないかと思う程、これまた取っ付きにくい名前だ。
この監督の作品で「21グラム」を何年か前に観たが、
まあどこにも取り着く島がなく、カタルシスさえ見つけ出せない程に暗かった。
なのでこの「バベル」、
大々的に宣伝広告はしていたが、リアルタイムで観賞とまでには至らなかった。
当然自宅で全く期待せずに、ハードディスクのスイッチを入れたのが初となる。
ところが「崖の上のポニョ」同様、ファーストシーンから持っていかれる....。

画面から漂う緊張感。これは作家魂が高ければ高い程、明確な輪郭を現す。
ライティングとかカット割りとか、ロケーションやCGの善し悪しではない。
もっと別の何か、やはり気迫みたいなものなのかな....。
(自分も勿論お仕事優先だが、
決してセオリーだけのデジカメマンには陥らないようにと思った次第だ。)

かくしてあっという間に2時間半が過ぎた訳だが、
今回の作品はバランスの良さが非常に際立った。
バランスが良いだけで、「21グラム」とは別のジャンルのように錯覚してしまう。
時間軸をずらして俯瞰から、複数の人間を見届けるというのがこの監督の十八番だが、
今回はさらに時間軸を複雑化させ、よい天に近い視点から慈悲深く見つめる。
(ロバート・アルトマンの、切り取り型横視点とは似てるようで異なる。)
見つめられるのは、
アメリカでメイドをする、不法滞在のメキシコ人女性。
貧しいが、慎ましく暮らすモロッコの親子。
そのモロッコを旅する、お互いにすれ違ってしまったアメリカ人夫婦。
日本では、高層マンションのペントハウスに住む父と娘。
この高層マンションがシンボリックな存在として描かれている。いわゆるバベルの塔だ。
そして、娘は言葉を発する事ができない。つまり聾唖者だ。
旧約聖書にでてくる話なので日本人には馴染みこそないが、それでも何となく知っている。
ある時人間達は、天に向かい巨大な建造物を創りはじめた。
だがそれをよしとしない神が、人間同士の言葉を通じ合わなくさせ結束力を弱体化させた。
相手を理解できなくなった人間達は不安と混沌と共に世界中へ散らばっていった...。
この映画で描かれるのは、今だに理解し合えない人間達に対するアンチテーゼと救済だ。
ラスト、高層マンションのペントハウスで、裸になった聾唖の娘はある意味救済される。

重くなりがちなストーリーを、もはや確立した独自の手法と、秀逸な音で紡いでいく。
終盤になればなるほど、キリスト圏独特の慈悲深さが柔らかく全体を覆う。

「崖の上のポニョ」で宮崎駿監督は、
アンデルセンの人魚姫がベースだが、キリスト教色は払拭したと答えている。
つまりこちらは、日本人の根源たる神道ベースへと転化させているので、
神に与えられるというより展開より、全ての神々や自然への感謝に重点を置く。

いずれにせよ、両者「再生から始まる共存共生」が大テーマ。
一方は絵が非常かわいく骨太。一方は絵が少々刺激的で救済あり。

それらはやがて再生に向かい、やがて「生きる」が着地点となる。















                     














































「MGS4」と「UWF系」

中学1年生のころだったろうか?
いわゆるコンピューターゲームブームに火がついたのは。
YMOがBGMを担当した「インベーダーゲーム」。
これは正に爆発的だった。当時喫茶店で1ゲーム100円。
それから少しして「ゲームセンター」に場所を移す。
それからも業界は、「パックマン」「ギャラクシャン」などの大ヒットを飛ばし続ける。
もう大人の目を盗んでは、よくレバーを握り、ボタンを叩いたものである。

ところがプロレスと同じく、ある時に突然興味を失う。
おそらく背伸びしながらも、大人になり始めた頃と重なるのだろう。

それから15年、まずはプロレスが格闘技色濃厚になっているのに気付く。
「あれ、もしかして本気?」その団体は「UWFインターナショナル」。
自分も柔道をかじっていたので(一応黒帯)、間合いの本気さ加減くらい分った。
次の日すぐさま、試合のチケットを購入していた....。
まずは一人でこっそりと確認。やや湿り気のあるひんやりとした会場。
すぐに脳髄に降り注いでくる大音量。
やがてスポットライトから浮かび上がってきた真っ向勝負。
思わず目頭が熱くなるのを感じました...。
それからしばらくは、老若男女問わず試合に誘ったもんです。
だが今はもうUWFの本体はなく、環境や時運に応じて様々な形に変化を遂げた。

あの頃の近代格闘技はまだ、
ブルー・スリーの格闘哲学と、アントニオ猪木の闘魂スタイルに依存していた。
手探り状態だったと言って良い。それがまた刺激的でクリエイティブだった。
この10年間で世界のあらゆる格闘技がセッションを重ね、いわゆる総合となった。
日本古来の柔術、ロシアのサンボ、西洋のレスリングなどの寝技をベースとし、
なおかつ立ち技も一級でないと勝利する事ができない。非常に張りつめた世界だ。
これからも進化するだろう総合格闘技の体内には、
UWFの文化的遺伝子がしっかりと組み込まれている。

時をほぼ同じくして10年前、ゲームとも再会している。
冠は「コンピューター~」から「TV~」に変貌していた。
当時付合っていたカミさんの所に行った時にそれと遭遇した。
ソニーのプレイステーション。
「ゲーム〜、こんなのやってるの。子供じゃないんだからさあ。」
などと言いながら、「どれどれ。」とコントローラーに初めて触ってみた。
次の瞬間、「え〜!いっ今こんなんなってんの〜!?」と、叫んでいた。
ソフトもよかった。最近ハリウッドでも映画化された「サイレント・ヒル」。
余談だがこの映画よくできていた。原作へのオマージュもたっぷりと感じられる。

さて、とにかく再会の印象が良かったのと、意外にさくさくクリアできる心地よさで、
今ではプレイステーション3まで進んでしまっている。ていうか継続している。
(元々映画好きなので、それらを遊んで体感できる便利なツールみたいな感じかな?)

この10年で先程の「サイレントヒル」と「バイオハザード」が、
日本発のゲームが原作として映画化され、世界中でヒットした。

ここにもう一つ、
映画化はされていないのだが世界で最も有名なゲームの続編が、先日発売された。
通称「MGS」の最終章にあたる、「メタルギアソリッド4」である。
こちらはなぜ映画化されないのか、それはゲームそのものが映画的であるからだと思う。
「MGS」シリーズは一言いってくどい、
ストーリー性を重視しているのが売りの為、ムービーが長い、長過ぎるのである。
さらに女性の扱い方が致命的で、プレイヤーが思わず笑っちゃう位に稚拙だ。

だが良い。良いのである。それらを置いといて良いのである。

確かに話はくどいのだが、女性の扱いはヘタなのだが、
その他の設定が徹底的に緻密でリアルなのである。
世界に核脅威をもたらすテロリスト達を阻止する為、一人の戦士が単独で潜入し行動する。
これが毎度のパターンだが、要約すれば敵に見つからずに静かに作戦を遂行させ、
戦場で大々的に「かくれんぼ」をするステルスゲームなのだ。
そこに「文化的遺伝子」VS「人的遺伝子」、「デジタルセオリー」VS「アナログ的経験」
「管理される安堵」VS「束縛されない自由」、などのを軸とし、さらに「核の抑制」
「ゲノム遺伝子操作への警鐘」「環境破壊へのアンチテーゼ」などを織り込んでいく話だ。

はっきり言って情報量が膨大で、
リアルタイムでプレイして来た身でも、ついストーリーを見失ってしまう時がある。

銃火器などのガジェットも精巧で、海外の軍関係者もプレイするらしい。
もちろん難解なストーリーとリアルな戦場だけでなく、
これでもかとばかりに思いっきりエンターティメントしているシーンも多い。
さらにゲームならではのおバカな隠し要素もてんこもりである。

インタラクティブの後には、ちゃんと反戦の意識を植え付けさせて終了する。
ハリウッド的な、いわゆる最大公約数オチでないのは確かだ。

10年間さんざんテロや国家体制と対峙してきて、ようやく全ての謎が解けた時点で、
監督はある主要キャラクターにこう言わす。

「結局我々は何を守って、何を失ったんだろう?」

共感性は、プロセスを辿らなければ必ずしも望むようには発生しない。
仮に望んだ共感性を得ても、今度はその結果に一種の焦燥感を覚えてしまう...。

海外や軍需関係では、
この作品を90%以上日本人だけで制作しているのに驚いているんじゃないだろうか。
とにかく、現実的かつ予言的なストーリー構成はお見事の一句だ。
後、監督も年齢を重ねたせいか、MGS3あたりから女性への演出力も向上した。
追記すると2001年のニューズウィーク紙で「世界を切り拓く10人」にも選定されている。
エンディングはある意味、一粒で二度おいしい。


「全ては次世代へと受け渡す遺伝子の一つ、
これだけ多種多様な文化が混在する中で、軸をぶらさないでいるのは困難だが、
まずは最小単位の足元から、やがて広域へと転化したいものです。」

などと何年か前、自分のある作品に対して自らコメントした事を思い出しました。

























































「3回転目!」

淡々と粛々とやってきて2年が経った。
入船にスタジオを設置してからは1年半。法人化してからは8ヶ月。
お仕事、パブリック、プライベートの云々で、あっと言う間です。
下のお子が誕生したのと同時のスタート。
だからアニバーサリー的気分の薄い自分でも、否応なく月日を確認する。

向こうは何やら、意味が分かる程度にふにゃふにゃ喋ってくる。
こちらもどうやら、まだまだそんなものなのでしょう.......ね。











二発目。「ノーカントリー」

今年に入っての一発目は「ドラえもん〜のび太と緑の巨人伝〜」だった。
色々な要素を詰めに詰め込んだ、強引な一本背負いみたいな映画だった。
それでも5才の娘の一言。「何か夢のようだった...。」で、オールOK。

二発目は大人の時間だった。
楽しみにしていたコーエン兄弟の「ノーカントリー」。
うーん、期待しすぎた。確かに今回も、確信犯的な突き離し演出が巧みです。
アカデミー賞を席巻したのは、アメリカ人の自己啓発の賜物でもあるでしょう。
あの賞賛は、最大公約数好きが本質を直視し始めたという現れなのかな?

内容から言えば、
前評判の高かった「おかっぱ頭殺し屋」の比喩的な不気味さにも、
今ひとつ新鮮さを感じなかった...。(ああいうの前からいるんじゃない?)

それだったら「ミラーズクロッシング」の、
殺す側と殺される側が、薄暗い森を進んでいくシーンの方が恐ろしかった...。

演出の技巧だけで捉えると、
デビュー作の「ブラッドシンプル」の方が頭一つ上だった...。

人のおかし味をあぶり出したかったのなら、「ファーゴ」の方がずば抜けていた...。

つまりこの映画、やはり確信犯的に何にもないのである。
説明なし、余計な心理描写なし、音楽なし、明確なオチなし。

ただあまりの何もなさに、少したってぞっとしてきます。
そして痛すぎる銃撃戦と、殺し屋の持つ受信機音だけが記憶に留まってるのに気付きます。
やがて何やら思考し始めます。そこまできて更にはっとします。

「あ、コーエン兄弟の思うつぼだ....。」

アメリカの、しかもテキサスの乾いた空気が充満した中の追跡劇なので、
日本人には今ひとつ馴染みがなくピンときませんが、
それでも何か一つの普遍性を見つけてしまうと、その場に佇んでしまう吸引力はあります。

またどこかでもう一度。その時はおそらく全く違うテイストでしょう。
それくらい無味無臭です。3度目だけど「確信犯的」に...。






「APA AWARD 2008」

所属する「日本広告写真家協会」の展覧会が、今年もスタートします。

東京:3/8(土)〜3/23(日) 於) 東京都写真美術館
http://www.syabi.com/index.shtml

大阪:4/1(火)〜4/6(日)  於) 大阪市立美術館
http://www.syabi.com/index.shtml

選抜された、一般公募写真とこの一年間の広告写真が、
同じ空間にひしめき合う珍しい展覧会です。
また、過去受賞作品のアーカイブ映写室も設置されています。

今回は広報用イメージ写真と、展示会場の演出なども担当しました。
近くにお越しの際は、是非一度御覧下さい。










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