「アバター」は「オーシャンズ」よりマシか否か。

  • 2010.02.11 Thursday
  • -
  • 14:32
「オーシャンズ」-フランス-
結論から言うと、大枚はたいて最新撮影技術を駆使した偽善商品でした。
ちょっと過激な発言ですが、日本人なら大なり小なり気味の悪さを感じざるを得ません。
何の予備知識も入れないで観たのですが、
まず語り口調があまりにも稚拙過ぎて驚きます。
目玉の深海映像も、もうどこかで遭遇したようなものばかり。
それでもただ単純に、頑張って撮影してきた素材をゆったりと流せば良かったものを、
猜疑的な編集で全て台無しにしています。
一部欧米系の方はどうしてああなのでしょうかね。ひとまず一部とします。
20世紀までにさんざん略奪、侵略、資源破壊、種族消滅を繰り返していながら、
映画の中ではしたり顔の老人と、お目目キラキラの金髪少年の、
これまたわざとらしいイデオロギー論が、粛々と展開していきます。
その油だけほしさにでさんざん乱獲していたのに、
今日から環境グローバリズムの旗印にするので、もう鯨を捕るのやめた。
だからほかの国ももう捕っちゃだめ。何より僕達が可哀想と思うし。では少し乱暴です。
牛も豚も鳥もそうなのですが、バランスを考えて捕獲すれば良いだけの話。
鯨は絶滅の危機などに遭遇していません。作為的な先導は単なるレトリックです。
しかもその皮だけほしいので撲殺し、その牙だけほしいので大量に殺戮し、
その資源だけほしいので他の大陸に碁盤の線を引いて奪い合う。
アルプスの少女〜と言ったってバックの禿げ山は森林破壊の後で、
今現存するのはほとんどが植林という始末。そんな一部欧米系の方に、
「どうしてこんなことするのかね〜」と、今更揚げ足取られる筋合いはないのです。
というのもアジア系の漁船が鯨を捕獲するシーンを、
これでもかとばかりに残虐な描き方をしていくのです。しかも演出をしてです。
「我々も今世紀までにずいぶんと地球上を汚してきた。だからこれからは...」
といった切り口ならまだしも、スケープゴートを活用しての責任転嫁では説得力はない。
日本人は大変長い時をかけ、捕鯨という文化を継続してきた。
いつの時代もその肉はもちろんの事、骨や皮や油などその全てを生きる糧としてきた。
今日に至っては捕鯨調査船を出し、食物連鎖の一環であろうと更に努めています。
反対に捕鯨をしないままにすれば、オキアミなどの大量消失に繋がり、
やがては生態系のバランスを大幅に崩すのは周知の事実。
環境グローバリズムも鯨を象徴とし過ぎず、商業捕鯨国はバランスの良い捕獲量を、
なによりも一方的な博愛主義が、ヒステリックに転んだ盲目状態を回避する。
これはもう暴力に近いし。現にシーシェパードなどの活動は実質的にはテロ行為です。
しかしながら、環境破壊の深刻さとその改善は、一刻を争う問題。
その為には、やはり揚げ足を取り合うのを止め、
文化歴史の違いなど二の次にして、毅然としたルールを世界規模で構築する.....。
などと言葉にするのは容易いですが、ほとんど不可能なのは皆薄々感じるところ。
「鯨を守れずして地球を守れるか」はまだいいとしても、
「人命は地球より重い」などと唱えている限り、到底無理な話だ。
一番の傲慢さはこのあたりの規範の中にある。
現に地上から人間だけが消去されれば、あっという間に地球は修復されるはず。
環境保護が云々といったエコスローガンは、地球にとっては大きなお世話という話です。
とはいえ未来へ遺伝子を繋げなければ、存在する理由が無くなる。
つまり子供達が楽しく過ごせる環境がなによりも大事で、
地球上のに生きさせてもらっているという謙虚さこそが、その突破力となる。
間違っても「地球を守ってやろう」などというおこがましさだけは、持たない方が良い。

今日は建国記念日だが、日本という国名は神話の世界から出立し今に至る。
八百万の神々と共存し、海や山や道具にまで二礼二拍手しながら2千年続いてきた。
最初の王は神話の中、なんて話はよくあるとしても、
現在まで累々と125代その王位が継承しているような国は、世界広しとはいえ珍しい。
王位はないが、アメリカで建国200年。中華人民共和国は60年。朝鮮半島もそれくらい。
スケープゴートといえば、大戦後の日本ほどその対象にされた国はない。
日清・日露戦争で勝利した後、軍部がその上にあぐらをかいたのと、
ABCD包囲網と、マスコミ世論の煽りによって先の大戦へと突入する。
御存知の通り袋叩きに会うわけだが、その戦後処理がお粗末だった。
ドイツは軍部が裁かれたが、日本は国の存在を裁かれたからだ。
畏怖されたつつあった新興国は、平和国家としての再出発を計るものの、
そこにつけ込まれた捏造的内政干渉は日々目や耳にするところだ。
落とし前をしっかりとつけているのだが、周囲からどうしてもタカられやすい。
凛として、もうその交渉は終わっていますと冷静に立ち振る舞えば良い。
もうそろそろ何に遠慮しているのか分からなくなり、
本末転倒に陥っているのではないのでしょうか。
時のマッカーサーですら朝鮮戦争の際、
日本と半島の位置関係から、あれは防衛戦も重要なテーマの一つだったと記録します。
もとろん要因はそれだけでは絶対ないし、後50年から100年はかかると想像しますが、
せめて今世紀中に国内だけでは、捏造的事象をたらい回すのを止めてほしい。
その為に必要不可欠なのは、セントラルで曲折する事のない政治力と教育力。
今世紀に入っても尚、それぞれの国がそれぞれの国益や郷愁を絡めた歴史認識を掲げ、
やがては事実に転換しようと躍起になっている。
歴史的事実とは、その当時どのような拮抗状態だったのかを把握してこそ輪郭を表す。
後世の進歩的文化思考で、尾びれ背びれを付け加えるのはあまりよろしくない。
考古学じゃないのだから、近代史の希望的捏造からは真実など生まれないのだ。
だからこそ情報教育等などはちゃんと真ん中で構え、
事実とその理由を多角的に追求し、単線ではなく伏線で捉えるのが重要に思われる。

さてさて、「オーシャンズ」。
映像は普通。舌足らずなイデオロギー。猜疑的かつ偽善的な編集。よっておかわりはナシ。
本編終了後の言い訳がまたこそばゆい。
-残虐なシーンは編集によって処理されたものです。よって生物に傷一つ付けておりません-
一応ドキュメンタリーを売りにしているはずなのに、あれはヤラセですはないでしょう。
だったら冒頭からこれらはフィクションだと提唱すべき。
このあたりの往生際の悪さが映画の真実味を薄め、
果てには作家魂の欠如さえ感じてしまう原因になっている。
地球はすべての生物と植物、さらには宇宙と共にある。
その一員である人類は、今こそなにを成すべきなのか?
この途方もなく広大なテーマに挑むには、謙虚さと胆力を持して望まなければならない。
つまるところ、偏った猜疑的表現方法ではとても裁ききれなかったという事ですね。
これを子供に500円でバラまく配給方法にも、空恐ろしいものを感じます。
しかしこんなにも稚拙な情報洗脳に、21世紀の映画館で遭遇するとは本当に驚きました。

「アバター」-アメリカ-
まずあの青いCGキャラが、体質的にNGだった。
(手塚治氏原案の、ライオンキングのキャラの方がまだ面白いかも)
今頃3Dで専用眼鏡ってのも、強制的でとても面倒臭かった。
鼻が妙にムズムズするし、映画に入り込むまではただの障害物でしかない。
確かに奥行きらしきものが出現するが、だから何?といった見方もある。
監督がジェームズ・キャメロンっていうのも少々引く。もうお腹がいっぱいなのに、
満を持して出てきたメインディッシュ(もちろん肉)のようで、これまた辛いものがある。
ただアルマゲドンやらパールハーバーやら90年代あたりから台頭してきた、
元祖お◯カ〜プロデューサーによって選出された監督よりは、
まだ韻を踏んだ取り組み方ができるお方なので、一見してみても悪くないはず。
ハリウッド方程式とアメリカンプロパガンダを掛けただけの商品ではないはず。
そう思い込ませて劇場に向かった。
こんなに気が乗らないのだから、逆に何かが転がってるかも、そうも思った。
そうか分かった!これは映画ではなくアトラクションなのだ!
だからそういった楽しみ方をすれば良いのだ!....ここまでくればもう空元気だった。

序盤はやはり想像した通りで、
観客に奥行きを感じさせようと、あの手この手のギミック演出をバラまいていく。
3D眼鏡のムズムズ感もあってか少々鼻に突いてしまうくらいだ。
しばらくして、宮崎駿もどきの世界にたどり着く。
この監督は早くから日本のコンテンツに興味深々だったので、そうしたかったのも頷ける。
「ラピュタ」や「ナウシカ」の世界観にしっかりと乗っかり、
「ライオンキング」やら「マトリックス」などが点在していく。
そしてラスト30分は、懐かしい「未来少年コナン」のギガント狩りまで展開する。
まあ、こんなパクリ模様だとやっぱり大量生産大量消費の権化と相成るのかと思った。
ところが反面ジェームズ・キャメロンは、カナダ人上がりのせいあってか、
先程も記した通り韻を踏む色気みたいなものを体内に持ち合わせている。
というのも90年代には完全に確立されたハリウッド方程式を、時々一蹴するのだ。
友情・愛情・敵の完膚なきまでの消滅・そこまでの大義名分の構築と暴力の正当性・
伏線は必要最小限に・難解な表現はNG・カット割りは細かくアップで・
ロングはNG・ジェットコースター的カメラ割りの多様・
どういう状況であろうと出来る限りのハッピーエンド・
ゆえに主役級の死などはもっての他、等々。
これらの要素に、必ず自国の大宣伝を枠一杯詰め込んで出来上がり。
映画は商品だと豪語するハリウッドならではの、このてんこ盛りな感じは、
2時間ある程度楽しませた後に、早めに記憶から消去させる装置も踏まえている。
すなわち毎度同じパターンで製作しても、収益の計算が簡単につきやすい。
これは、お仕事フォーマットとしては大成功といえる。
昨夜BSのトーク番組にアル・パチーノが写っていて、
「アメリカ人がなぜシェークスピアが苦手なのか時々考える。」
のセリフに思わず笑ってしまったが、
同じ英語圏なのかその辺りはスルーできない問題なのでしょう。
古典はその当時のエンターティメントなので、興味がないと単に退屈なだけですからね。
もちろんパチーノ、デ・ニーロなどは別格扱いだとは思いますが。

ようやく3D眼鏡と青いCGキャラに馴染めた頃。
いつものプロパガンダが変化球なのになっている事に気づく。
この物語は地球外の惑星に科学者や軍隊などの人間が降り立ち、
地球上ではすでに採り尽くした資源を、新たに搾取しに来ているところから始まる。
そこには例の青いCGキャラ達がすでに根ざしている。その肉体は屈強で大きい。
森は豊なのだが、空気は人間にとって有害だ。
そこで遺伝子技術を駆使し、人造な青い肉体を作り上げ意識をリンクさせながら、
人間のアバターとしてその惑星で活動させ、その青い一族に斥候を仕掛ける。
だがそこには魅力的な相手役がおり、
やがて人間の獰猛さに嫌気がさした主人公はアバターのまま生きようとする.....。
とまあ、やはりありがちなストーリーなのだが、主要な登場人物が意外にも死に、
本来なら覇権主義の正当化と志願兵増大との為に放たれる、
カッコイイ軍隊を基軸としたプロパガンダがよく探さないと見当たらない。
それどころか、大量生産大量消費の怪物のごとき侵略者として軍隊が描かれている。
その象徴たる軍隊長の大佐は、仲間思いで強きアメリカ代表のような存在。
だがひとたび意にそぐわない状況が出現すると、
その原因になった相手を完膚なきまでに叩きのめす。
大量に兵器を投入し、そこらじゅうを木っ端みじんに粉砕する。
巨木を無理矢理倒してしまうシーンなどは、原爆を彷彿させるほどだ。
ちなみにこの監督、なにやら「はだしのゲン」に今興味があるらしい。
(もし正当化してきた自国の大量殺戮を題材とするなら、これは一つの事件になりますね)
「グッドキル。皆に一杯おごろう。」
十分に欲望を果たした大佐のご満悦な表情は、滑稽ながらも恐ろしく不気味だ。
そして倒れた巨木のたもとで屍をさらす青い一族達。
この後右往曲折しながら、「未来少年コナン」のギガント狩りへと突入していく。
つまり知恵の限りを尽くしながら、槍一本で巨大な文明兵器群に立ち向かうのだ。
当然仲間みんな、命からがらそれでも全員助かる......のではない。

作歌魂とは群雄の中でも、一人の狂気じみた輩からしか発生しない。
その狂人がいたかいないかで、作品自体の普遍性が左右される。
もちろん現場はとてつもなくうっとうしくなると思われるが、
中途半端な駄々者は手の施しようがないだけなので、正に紙一重。
大枚かけて大枚稼ごうっていうのだから、個々が様々に狂い立つ。
その上に立ち塞がる、トップ・オブ・ザ ・クレイジー。
それが今回のジェームズ・キャメロンだっかのかもしれない。

故にタイトルの答えは、独断と偏見を込めまして断然マシ!でした。
ベースは方程式なのだが、商品が作品へと昇華する様を垣間みれると思います。
後者はトップ・オブ・ザ 狂人の爪の垢でも煎じて...といったところです。

両者とも同様の要素で気が載らなかったので、あえて比較してみた休日の昼下がりでした。

























「2010」

  • 2010.01.05 Tuesday
  • -
  • 09:47


今年もよろしくお願いいたします。

「いずれ文化の礎となり。」

  • 2009.11.28 Saturday
  • -
  • 14:38
先日BS2で、「刑事コロンボ」のノーカット版再放送を、一話だけ懐かしく見た。
当初の放映時、犯人とその犯行を観客のみにばらしておく手法が話題を読んだが、
まだほんの子供だった自分には、
そんなことよりもコロンボのキャラクター性に引かれたのをを覚えている。
よれよれ安コートにもじゃもじゃ頭で、これまた安葉巻をくわえてながらこう言う。
「うちのカミーさんがね〜。」まあ一世風靡した台詞だ。
吹き替えを担当した俳優の声が、本人の生声より定着性を帯びてるのはよくある現象。
それはカバー目的の模倣に、オリジナリティーがスパイスされた証拠でもある。
さらにオマージュ精神がともなえば、おおよそ別物のように新らしく進化する場合もある。
日本にも金田一耕助という似たようなキャラがおり、こっちもかなりの歴史を持つ。
小中学正の頃、少ない小遣いかき集めて、横溝正史ものは沢山集めた。
金田一とコロンボ。どっちが先かなどはこの際どうでもよいでしょう。
それくらい両者のタレント性(キャラクター)は際立っていた。

文化の純度は、民度のレベルに比例しながら呼応する。
未知なる「何か」に触れた場合、
単なる模倣に終わるか、逃げるか、排除するか、懐柔するかの選択は、
そこにいるただの人間の肩にかかっている。
飲み込み、租借し、理解しながら新しく吐き出す。これの繰り返し。
そして最終的には、無駄な贅肉をできるだけ削いだ形を理想とする。
日本でいえば太子の時代に仏教の日本定着を巡って初めは激しく争ったが、
仏教が一神教ではなく真理的なので、受け入れ丸ごと懐柔した後の過程が大きな例だろう。
今では神と仏がほどよく両立した、珍しい国となっている。

いずれにせよ、ただの猿真似(コピー)以外は、
どんな行いもやがては文化の礎となる要素を含んでいる。
つまりその地域の、古き良きものと新しい発想発見の集合体がその元素となるのだ。

話は戻り、カバー模倣といえば疑似餌(ルアー)をそうなるのかな?
こっちは全く性格の違ったものではあるが、たどり着く先は似ているような気もする。
やがて本物を凌駕する為に、あらゆる点を改良しながら進化していく。
昔とある女子アシスタントに、「偽物で釣り上げるなんてひどいです!」
などと珍妙な責められ方をされるほど、ルアーフィッシングにはまっていた。
ただ何となく言い訳をするならば、自分なりのルールは持っていた。
それは「船で沖まで出る」「釣ったら食べる」という極めてシンプルなものだった。
週末のほとんどは海の上。そういう生活だった数年を思い出す。
カンパチ、シイラ、カツオ、スズキ、鯛、太刀魚、etc......。
うーん。どれも釣り人ならでは遭遇できる味覚を、これまた思い出す。

おそらく本日は、その手の料理屋の暖簾をくぐると思います。









「発売中。」

  • 2009.09.30 Wednesday
  • -
  • 16:03

http://www.artbox-int.co.jp/publish/mook_photography/photography-8.html


http://www.artbox-int.co.jp/gallery/past/20061002_syasin.html


なにやら硬質なタイトルですが、2冊とも掲載作家として参加しております。


「今度は法人3回転目!」

  • 2009.08.08 Saturday
  • -
  • 09:42
とはいっても、
必要な時にどっと人に集合して頂くスタイルなので、外見はフリーランス。
世界的不況がはやっている市井に置いても、案外舵は取りやすいのかも知れない。
自分の年頃はバブル期は修行中の身で、それが崩壊してからの一本立ち。
だから思いの外「またですか?」と、妙な肝のすわり方ができる側面もある。
ただ規模の大小はある。半世紀前なら世界大戦突入の可能性も十分有り得る状態だ。
それがないのは、良くも悪くも情報網の世界網羅。しかも市民レベル。
勝った国によっての、御都合主義的な経過報告ができにくくなった事を意味する。
つまり大義名分の捏造が、瞬時に見破られてしまう世の中になったという訳だ。
それはそれで、核などより使用さえ間違わなければ、極めて平和的な抑止力となる。

さてさてさて、そんなかんやの御時世。
デジタル機器の緩やかな飽和、急ごしらえの0金利など含め、
今がチャンスとばかりにスタジオのシステムアップに努めている今日この頃です。
ただ、今年に入ってすぐにのれんをくぐった外車ディーラーには、
さすがに俗でいう負のオーラが漂っていた。
しかしこちらは決め打ちなので、とにかく探して下さいの一言。
運良く指定した車種と色がすぐに見つかり御満悦。(応援してるのはもちろん国産車です)
反面、それを担当してくれたは人は、自分のが最後の納車となっての退社。
これは予測通り本体も撤去かな?それはそれで車に希少価値がでて良いかも。
などと楽観的に捉えていたら、なんと土俵際で残った模様。(トヨタは最悪期一抜け模様)

西原写真事ム所は決算ですが、年単位で言えば怒濤の後半戦。

坦々と粛々と冷静に、そして真面目に構えて行きたいですね。